antonia778's diary

真ん中から外れたっていいんだよ。

悪性脳腫のこと。

このトピックを書き出すには幾つもの躊躇の山を乗り越えてきました。


脳腫瘍には悪性と良性があり、後者はうまく取り除けは回復可能。悪性は四タイプにわけられ、タイプ3は何とか生きれる道があり、4は治療法がすぐになくなる。これがハニーがかかった膠芽腫こうがしゅ。腫瘍をとれたとしても、がん細胞は残っていて再発七カ月目、三年生存率5%。


それでも術内にMRIをして出来るだけ腫瘍をとりさる、また、見えないがん細胞を光学療法で、たたく、覚醒したままの手術で言語機能を守る、と、東京女子大で最大限の手を尽くしてもらった。


2カ月ごとのMRI、その2カ月が生きていられる単位になり、術後、行きたいところ、やりたい事は出来るだけした。


再発は14カ月後。脳幹寄りに広がっていた。

癌腫にあわせた治験か、外科手術か。ハニーは治験を選びなんとかスウェーデンのカロリンスカ大学病院で受け入れてもらえた。


翌日には慌ただしく渡航。5月30日治験開始。二週間後、諸々手続きに一時帰国したワタシの携帯に訳がわからない文字が送られてきた。


ハニーに痙攣が起きてヘルプのメッセージだった。幸い義理の母が病院まで運び処置。ワタシはその日の便でスウェーデンへ。


言語は回復していたが、浮腫ができていてステロイド投与。おそらく、ここが運命の分かれ道だった。

6月末の治験チェックで腫瘍が5センチに増大していた。治験から外れて、地元の病院で抗がん剤を勧められたが、それはもう使用して効かなかったと主張してもきいてもらえない。死ぬのを待つのみ。北欧の医療は、基本リスクを取らず、介護から死に持っていく治療文化。セカンドオピニオンをとるのに何カ月もかかる。


それで東京の先生に夜中電話して、サイバーナイフ放射線治療と分子標的アバスチン投与を提案される。


ハニーに、もう一度ワタシのために挑戦してほしいと話し、日本に即効帰ることに。その際義理の家族からは猛反対を受けた。財産分与の意志も本人から伝え、最期は笑顔で出発。


出発の朝


これで再再発まで六カ月間延ばすことができた。日本の主治医、支援してくれた私の兄夫婦に感謝。


再再発からは、さらなるチャレンジ。