Free riderとは言葉どおり。
色々と気を取られることがあり、ひっさしぶりの記事。2023年はなんとなくいい年かな。
自分の常識は他人の非常識。これ、よく聞く話。確かに自分がずれてることもあるからね。
じゃあ、どれが本物の常識?って空を見てしまう時の物差しは「Give and Take」つまりお互いが公平であるか。イーチオウ 公平、公正とは何かの学術的知識があるので、ここは自信がありまっす。
例えばね、どっかにいくときに、誰かの車に相乗りさせてもらうとするじゃない。
そうすると、その車の人は、運転、ガソリン代、高速代を負担している。なので便乗者はその恩恵に預かっているわけだから相分の支払いなり役務を支払うことでEven=公平となる。
例えば、運転手をするとか、費用代を割り勘するとかね。ご飯代を払うとかでもいい。
それが物理的に難しければ不公平な関係となるので、何かの役務で持って恩恵代を支払う。
要は、食堂に行って払うお金がない場合、食い逃げになっちゃうから皿洗いを何日かしてご飯代を支払う原理と一緒。もし役務をしなければ、普通の食い逃げ。
それをやらなければ、基本は返済するまで負債を担う。下手すればこれに利子が加わってくる。または、「払わない」のがなぜか常識としている場合は車のタダ乗り、文字どおり、Free riderとなる。 言葉ってよくできてるよね。
何が公平か公正かをとらえる際、現代的には倫理的価値の介入が是となっている
つまり、free riderを人の倫として、良しとするかいなか。
払うのを申し出ない人に、私はまだ出会ったことがないけど(自分から猛烈に誘った場合や親
しい友人を除いて)、そういう人はきっといる。それは、相手を舐めてるか、社会を舐めているか、はたまた、単にせこいというか貧乏なだけなのか。いや、貧乏だったら、そもそも清貧に暮らすのが筋。人格があれば、誰かが救いの手を差し伸べるだろうし。その手が来なければ、そこまで、ってこと。
https://antonia778.hatenadiary.jp/entry/2023/02/25/184810
セコさ
と、久々の投稿は、あるある話かつ、根本的な哲学でした。