再再発から、、。
夜じゃないと書けないくらい思い切りがいる過去。こんばんは書いてみよう。
2018年12月半ば、ハニーの脳腫瘍再再発。最後の打ち手でPD1抗体医薬のオプジーボを自費、月80万で受けることに。元首相のMさんは寝たきりからこの治療で回復。ちなみにその前も自費でTTFという電磁場治療を受けていた。初発は保険対象、再発は対象外につき、月200万。
一方、緩和ケアを視野に故郷のスウェーデンに戻ることにした。難関はスウェーデンで同じ抗体医薬と分子標的のアバスチンを治療してくれる受け入れ先が見つからない。
義理のお母さんとお姉さんに助けを求めても必死になってくれない。
私はものすごい勢いで、2人に一刻を争う事を伝え、自分でノルウェーの病院を見つけ、もう一つはスウェーデンのウレブロ大学病院。一月一週目、主治医に診断書や画像、航空会社への手紙をいただき、会社に事情を話し、無期限で一月12日飛行機に乗った。
その時は視野狭窄で右目が見えず右半身も動けなかった。
それでも空港やスカンジナビア航空のアシストでなんとかストックホルムに到着。
が、迎えがいない。地元のカールスタッドまでは遠いので、途中までハイヤーでこいと。で途中でお姉さん夫婦のボルボに拾ってもらい、夜10時、私達のアパートに到着。
お母さんが待っててくれた。お母さんが帰る時、預けていた合鍵を何故か返してくれず一悶着。
ここから一か月半、想像だにしない波乱が待っていた。
息切れしたので、こんばんはここまで。
出発前の最後の兄達とのディナー、別れ際に甥と姪が何か感じたのか車の中から手を伸ばしてハニーの手を握ってた。